3才のときに喘息にかかった。慢性でわりと重くて、実は中学生くらいまではあんまり運動することもできなかった。喘息って苦しいんだよ。呼吸できなくなるんだから。小学校の高学年くらいが一番ひどくて、真夜中に発作を起こしてはそのまま入院したりとか、そんな日々が続いたりした。排気ガスとか煙草の煙とかを吸い込むとすぐに発作を起こしてしまうので、あの頃は車や煙草を吸う人を敵だと思ってたなあ。いつもどおり夜中に発作を起こしながら、一度だけ、なんで自分だけこんなに苦しまなくちゃいけないんだろう、と思ったことがある。けど、それはそんなに切実ではなかった。リアルじゃなかったというか。そんなこと考えてるよりも、目の前の、現実に自分の体に起きている苦しみと向き合うことの方が圧倒的にリアリティがあったんだよな。

なんでそんなこと書いてるかっていうと、そういえば俺、死にたいって思ったこと一度もないな、と思ったから。喘息のせいで常に生きることに対しては意識的にならざるを得なかった。でも逆に死ぬってことに対しては全然意識がなかったんだよな。そんな余裕ないっていうか。肉体的に追い詰められると、逆に生き延びる方向に本能が働くものなのかもしれない。でも考えてみたら、体はそうやって追い詰められてたけど、精神的に追い詰められてたことってないかもなあ。

世の中がどんどん豊かに便利に自由になって、今の子供はきっと余裕がありすぎるんじゃないかと思う。日々を生きしのぐ緊迫感はどんどん希薄になってきてるんだけど、その分持て余したエネルギーが本来向けられなくていいはずのところへ向けられるようになって、それで精神的には何かと追い詰められることが増えてるんだろうな。かわいそうだとは思う。

でも、それでも、死ぬよりもやることあるだろう、とも思う。

とりとめもなく。