気狂いしそうな空の青、今日は父の七回忌であった。
父のことについては自分の中でなんらかのかたちでまとめておかなくてはならない、と思っているのだけれども、ずっとできずにいる。ましてやもう 7 年も経つのだから今さら感傷的になることもない。
ただ、大人になってから父を含め 3 人、身内の死に直面しているのだけど、そのたびに思うのは、もうその人の声を聞いたり表情を見たりすることは二度とないのだな、ということ。失ってから初めて気付く、じゃないけど、もうない、取り戻せない、ということはとても恐ろしいことだ。声が聞きたくても「絶対に」聞くことができないなんて。
私は父の声や表情を絶対に忘れない。忘れてなるものか。その人が生きた証は、周りにいた我々が担うべきものなのだ。なぜならその人の声や表情は自分の記憶の中に残っている。我々がそれを覚え続けている限り、その人は記憶の中で生き続けられる。だから絶対に忘れたりなんかできない。
7 年経ったって十分感傷的じゃないか、とここまで読み返して思った。
7 年経ってやっと、という方が正しい、か。